著者:長池涼太(ブラック企業研究家)
この記事には広告を含む場合があります。
記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
当メディア『涼しく生きる-スズイキ-』運営、ブラック企業研究家の長池涼太です。このメディアでは
- 働き方・キャリア
- ブラック企業
を軸にした発信をしています。会社員をやっていたころは、勤めた会社がブラック企業でその中で転職活動も経験しました。それを乗り越えてきた過程なども発信しています。
簡単なプロフィール

名前 | 長池涼太 |
生年月日 | 1988年(昭和63年)6月22日 |
居住地 | 茨城県水戸市 |
出身校 | 常磐大学高校 玉川大学農学部 |
学生時代の部活 | ソフトテニス部(中学) 演劇部(高校) |
主な職歴・資格 | 建設会社派遣事務、学習塾講師(数学・理科)、農業、運転代行など 職業紹介責任者資格所持 |
主な活動 | ・ブロガー ・ブラック企業研究家 ・ブログコミュニティ『イバライター』運営 ・コミュニティスペース本拠地管理人 ・NPO法人教員支援ネットワークT-KNIT広報 |
最初に就職した派遣事務では仕事を覚えるのに時間がかかり「何でこんなこともできないの!」などと罵倒され鬱寸前まで追いこまれ入社2か月で退職。次の塾講師は人間関係に恵まれつつ、長時間労働で常に体調悪い中の仕事に耐えられず4年で退職。
そして、次に転職した農業では「お前は価値のない人間だ!」と言われ、入社わずか3週間でクビになりました。そこで自信を失いましたが、ふと出会った「ブログ」に可能性に賭けてブロガー・フリーランスに転身しました。
ブラック企業で存在価値を否定され続けた日々
西暦 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
2011年 | 23歳 | 内定がないまま大学を卒業 6月から建設会社事務に就職も上司からの圧でストレス性の過敏性腸症候群を発症&うつ寸前になり2か月で退職 11月に学習塾に入社 |
2013年 | 25歳 | 会社のシステムが変わり特に下半期から大幅に休みが減った |
2014年 | 26歳 | 社長の無茶ぶりで2日で30時間働き倒れる。体調が本格的におかしくなった |
2015年 | 27歳 | 8月の高校の同窓会で恩師に再会。恩師のおかげで会社を辞める決意ができた 11月に会社に辞める意思を伝えた |
2016年 | 27歳 | 2月いっぱいで塾を退職 5月に農業法人へ転職。しかし社長から「おまえは価値のない人間だ」などと言われ3週間でクビ |
建設会社の派遣事務。プレッシャーから鬱寸前に
大学の就活はリーマンショックの影響や東日本大震災とぶつかったのもあり、就職が決まらないまま卒業してしまいました。当時は茨城県と派遣会社で未就職者向けの支援事業をやっており、運よく派遣会社に入ることになりました。そこで地元の建設会社の事務職の選考を受けて通過したので、その会社で派遣事務として働くことになりました。
ただ、入ったはいいけど未経験だろうがすぐに結果を求められるような職場で、
- 「なんでこれができないの?」
- 「同じこと聞かないでしょ!」
と言われ、「そんなすぐ覚えられないよ…」と思いつつプレッシャーの中で仕事をしていたら、入社から1か月で体調を崩し会社を休みました。
病院で診察してもらったら、「過敏性腸症候群」と診断され、ストレスで胃腸が炎症を起こしているとのことでした。
(過敏性腸症候群は基本的に完治はしないそうで、これ以後ストレスが溜まるとすぐ腹痛を起こす体質になってしまいました)

そこからも頑張って仕事はしましたが上司からのプレッシャーは収まらず、体もメンタルも限界に達したため、派遣会社に申し入れて2か月で退職しました。その後就職活動を再開し、内定をもらえた会社で塾講師として働くことになりました。
塾講師。上司に恵まれたが体が悲鳴をあげた日々

僕が入社した塾はいわゆる「メンター」(研修担当)の人がつくので、仕事の相談などはそのメンターにできました。僕の研修担当になった人は10年その会社で働いていて、かつ他の業界も見ていた方なので柔軟に物事を考えられたり視野も広く人として尊敬できる方でした。
一方で、辛かったのが年を追うごとに増える仕事量と激減した休日。3年目に入った頃は激務から起きあがることができないくらい体調が悪化してしまい、病院に行ったら「自律神経に異常がある」と言われ、安定剤などの薬を処方されました。

正直3年目に入るあたりで「辞める」ことは頭にありましたが、
- 石の上にも3年、つまり3年は働かなければいけない
- 当時持っていたあるクラスがかなり良い子がそろっていたので、その子たちの卒業は見届けたい
という思いもあったので、そのクラスの卒業に合わせて4年やってから辞めようと思いました。そして、入社3年目の終わりから4年目にかけてたまたま高校時代の先輩や恩師に再会する機会があり、そこで

仕事が辛くてやめようと思ってます…。
といった思いを伝えました。先輩や恩師は否定することなく聞いてくれて、客観的な視点から退職・転職に関するアドバイスをしてくれました。そこで紹介されたジョブカフェに行ったことで退職の決意ができました。

この先輩や恩師たちは、『命の恩人』と思っています。
それを経て入社4年目の終盤にメンターの上司に退職の意思を伝えました。上司は転職経験が豊富だったのもあり、
- 自分のやりたいことにチャレンジすることはすばらしいこと
- やるなら20代のうちにやっておいた方が良い
などむしろ応援してくれることを言ってくれました。その後会社にも退職の意思を伝え、正社員としてちょうど4年で塾を退職しました。
農業。自分の存在価値を全否定された
塾講師を辞めた当時の僕は「自然に関わる仕事をしたい」と思い農業への転職を考えました。問題は当時車の免許が「オートマ限定」だった僕ですが、農業は「マニュアル免許必須」の求人が多かったこと。

そこで僕はもう一度教習所に行きマニュアル免許を取得(限定解除)をしました。

ちなみにあらかじめオートマの免許は持っていたとはいえ、限定解除には4万円ちょっとかかりました。大学の農学部で使った教科書を使って予習も入念にしながら転職活動をして、地元の農業法人に採用されました。しかし初日から
- 「(仕事の)スピードが遅い!」
- 「なんでこれできないの⁉」
などプレッシャーになることをたくさん言われました。
そして入社3週間たったある日、仕事でミスをして上司を怒らせてしまいました。社長から「もうおまえにこの仕事は任せられない」と怒られ、その日は昼から夕方までひたすら野菜を入れるダンボールの組み立てを延々としていました。
そして仕事が終わった後、社長に呼び出されクビを宣告された上で30分ぶっ続けで説教されていましたが、「おまえは価値のない人間だ」と言われてしまいました。

心を完全に折られた僕は社長に言われたことが強烈に頭に残ってしまったために、自分が会社で働く姿がまったく想像できなくなってしまいました。ただハローワーク行って、形だけの転職活動をする先の見えない日々…。

将来を考えると転職はした方がいいと思った。でも働くこと自体がトラウマになっている。
どうすれば…?
ブロガーになり自信を取り戻していく
西暦 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
2016年 | 28歳 | 8月に当ブログ涼しく生きる(当時の名前は無職だけど生きている)を開設 |
2017年 | 28歳~29歳 | 上半期は主に都内のブロガーイベントに参加。いろんな人と出会いを重ねる 7月に当時茨城県坂東市にできたシェアハウス「リバ邸茨城」に移住 |
2018年 | 29歳 | 様々な仕事をし自信を取り戻し1月に水戸に戻った 5月より運転代行のバイトを開始 |
2019年 | 30歳 | 4月いっぱいで運転代行のバイトが終了、6月にフリーランスになった |
ブログに全てを賭けてブロガーに転身した

気力を無くした日々を過ごしていく中で、ネットサーフィンをしているとあんちゃさんという女性のブロガーを発見しました。あんちゃさんも元々会社員をやっていましたが、仕事をしていく中で自身の想いを優先して、ブロガーに転身して生計を立てていました。
当時は他にも会社員経由でブロガーに転身した人が多く、それぞれがすごく楽しそうにしているのをネット上で目の当たりにして、ブログに可能性を感じてブログを始めました。ブログ開始2か月後にはあんちゃさんが東京でイベントをやるということで、ホテルを取ってまで行ってみました。

そこでの話が僕にはすごい響き、「僕もブロガーとしてやっていこう!」と決意しました。このイベント以後、ハローワークなどにはまったく行かなくなり転職活動を取りやめました。

会社員が無理なら、それ以外のやり方で(ブロガーとして)僕は生きていく
僕はそう思い当時はブログの専門的な知識はなかったので独学でしたが、覚悟を決めたため努力することだけは徹底しました。
感謝される経験を積み重ね、自信を取り戻す

ブログを始めたものの、今と違い当時は茨城県内にブロガー仲間がいなかったため一人でブログを書く日々でした。そんな中ブログを始めた翌年には、当時茨城県坂東市にできたシェアハウス「リバ邸茨城」(現いろり亭-空-SORA)に住むことになりました。

シェアハウスに移ってからは当時のブログ収入だけでは心もとないのもあり、たまに単発の仕事をこなしました。
- 祭りの屋台
- 養鶏場の解体現場の片付け手伝い
- 保育園の屋根の掃除
- 歯科医院の建物内と周りの掃除
- パソコンの使い方がわからない高齢の社長の代わりにパソコン作業
高齢者の多い地域だったため若いというだけで重宝され、幅広い仕事の依頼を受け、とにかく一生懸命にこなしました。依頼者と直接やり取りをすることも多かったですが、その中で「感謝される経験」を積み重ね「僕も仕事で人の役に立つことができるんだ」と思うことができるようになりました。
そうして、会社をクビになったことで失っていた自信を取り戻し、「地域の役に立ちたい!」という新たな目標を見つけて地元の水戸に帰還しました。
その後1年の運転代行のアルバイトを経て、2019年に30歳でフリーランスになりました。
主な活動
ブログコミュニティ『イバライター』の運営

2022年9月よりブログコミュニティの運営もしています。ブログについて日々情報交換したり、勉強会も開催。オンラインコミュニティでSlackが主な活動場所ですが、不定期にブロガー交流会を開催しています。

ブログのアクセスを上げたい、ブログで稼ぎたい…そんな方の参加をお待ちしています。
ブラック企業研究家

僕はこれまで様々なブラック企業で働いてきました。パワハラ、長時間労働、残業代未払いなど様々な労働問題に直面したり悩んでいる人もたくさん見てきました。僕や当ブログの存在がそのような人にとって少しでも解決の糸口になれればと思います。
最近は大学などの外部でもブラック企業での経験やブラック企業で苦しまないためのポイントなどを伝えるために講演等に登壇しています。今後も様々な形でブラック企業の経験を伝えたり、労働問題の啓蒙等をできればと思います。
2025年2月には「職業紹介責任者」の資格も取得し、キャリア関連の相談や発信の質をさらに上げています。
コミュニティスペース本拠地管理人
水戸にあるコミュニティスペース本拠地の火曜日と木曜日の管理人をやっています。普段は本拠地でブログやライター記事を書くなどの仕事をしていますが、ブラック企業や働き方に関する相談も随時乗っています。

また本拠地としても
といった事業をやっています。居住支援や就労支援、保護猫に関心のある方もぜひお越しください。
NPO法人教員支援ネットワークT-KNIT会員・広報

2022年6月よりNPO法人教員支援ネットワークT-KNITの会員としても教育に関する活動をしています。僕も元塾講師で教育業界で働いていた経験があります。
そのため教育の重要性は重々理解していますし、僕の専門のブラック企業・労働問題も実は教育がかかわるものだと思っています。また、2023年4月からは広報としても活動しており日々T-KNITに関する発信全般をしたり記事を書いたりしています。
最後に

僕はすごい仕事ができたり、すごい能力の高い人間ではありません。むしろ仕事も出世や昇給することがありませんでしたし、会社をクビになることもありました。やることなすことが地道ですが、そんな僕でも這い上がれたことをブログなどを通じてお伝えできればと思います。
僕の生き方や発信を見て、少しでも前向きになったり、自分のやりたいことに少しでもアクションを起こしてもらえたらと思いますし、「良かった」「気になった」などあればSNSのフォローをしたり、感想をいただけたら嬉しいです。
また、メールマガジン(無料)も配信しています。ブログやSNSでは発信していないメルマガ限定情報も発信しています。
- コミュニティスペース本拠地管理人(火曜日と木曜日はここにいます)
- メールマガジン(メルマガ読者限定の情報もお届けします)
- ブログコミュニティ『イバライター』(ブログを通じてあなたの可能性を広げます)
- ブラック企業情報提供フォーム(主に茨城県内のブラック企業情報を募集中)