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ブラック企業研究家長池涼太のプロフィール

著者:長池涼太(ブラック企業研究家)

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当メディア『涼しく生きる-スズイキ-』運営、ブラック企業研究家の長池涼太(りょうた)です。このメディアでは

  • 働き方・キャリア
  • ブラック企業

を軸にした発信をしています。会社員をやっていたころは、勤めた会社がブラック企業でその中で転職活動も経験しました。それを乗り越えてきた過程なども発信しています。

簡単なプロフィール

りょうた
名前長池涼太
生年月日1988年(昭和63年)6月22日
居住地茨城県水戸市
出身校常磐大学高校
玉川大学農学部
学生時代の部活ソフトテニス部(中学)
演劇部(高校)
主な職歴建設会社派遣事務
学習塾講師(数学・理科)
農業
運転代行など
主な活動・ブロガー
・ブラック企業研究家
・ブログコミュニティ『イバライター』運営
コミュニティスペース本拠地管理人
NPO法人教員支援ネットワークT-KNIT広報

最初に就職した派遣事務では仕事を覚えるのに時間がかかり「何でこんなこともできないの!」などと罵倒され鬱寸前まで追いこまれ入社2か月で退職。次の塾講師は人間関係に恵まれつつ、長時間労働で常に体調悪い中の仕事に耐えられず4年で退職

そして、次に転職した農業では「お前は価値のない人間だ!」と言われ、入社わずか3週間でクビになりました。そこで自信を失いましたが、ふと出会った「ブログ」に可能性に賭けてブロガー・フリーランスに転身しました。

理不尽と挫折の学生時代

理不尽な怒りに怯える日々

中学生のときはテニス部でしたが、2年生になって新しくきた顧問がかなり厳しい先生でなにかにつけて怒られました同じように同級生にも辛く当たられる日々を過ごしていました。そこで高校は環境をリセットするために、同じ中学の人があまり進学しない高校を志望校としました

ただお金のかかる私立だったのもあり親からは「特待生で受かったら良いよ」と言われたので、猛勉強しました。

  • この環境から抜け出したい
  • もう理不尽な目に遭いたくない

とにかく当時の環境が嫌だったので、ひたすら勉強しました。その努力のかいもあって約束通り特待生で無事に志望校に進学することができました。

高校に入ると人間関係や環境ががらりと変わり、楽しく3年間を過ごせて高校の友人や恩師とは、30歳を過ぎた今でも交流のある大切な人たちです。

りょうた
りょうた

のちにこの高校の友人、先輩、恩師には命を救われることにもなりました(後述)。

受験失敗という挫折とモヤモヤしていた大学生活

大学受験をするということで、地元の国公立大学を志望校にしていました。僕の志望校だった学科は当時は2次試験がなかったため、センター試験が勝負でしたがセンター試験を大失敗しました。

  • 3年間頑張ってきたのに…
  • 僕はこの程度の力だったのか…

悩んだ末に滑り止めで唯一受かった都内の私立大学に進学。実は入学の少し後にファミレスのアルバイトにチャレンジしたのですが、あまりの厳しさにわずか3日で辞めてしまいました…そのため、バイトやサークルもやらず、ただただ家と大学の往復だけでした。

ブラック企業で存在価値を否定され続けた日々

西暦年齢出来事
2011年23歳6月から建設会社事務に就職も上司からの圧に耐え切れずストレス性の過敏性腸症候群を発症&うつ寸前になり2か月で退職
2011年23歳11月から学習塾にアルバイトで転職。翌年3月より正社員に昇格
2013年25歳会社のシステムが変わり特に下半期から大幅に休みが減った
2014年26歳社長の無茶ぶりで2日で30時間働き倒れる。このころから体調が本格的におかしくなった
2015年27歳8月の高校の同窓会で恩師に再会。恩師に仕事の相談をし会社を辞める決意ができた
2015年27歳11月。会社に辞める意思を伝え受理された
2016年28歳2月いっぱいで塾を退職
2016年28歳5月に農業法人へ転職。しかし社長から「おまえは価値のない人間だ」などと言われ3週間でクビ

建設会社の派遣事務。プレッシャーから鬱寸前に

大学の就活はリーマンショックの影響や東日本大震災とぶつかったのもあり、就職が決まらないまま卒業してしまいました。当時は茨城県と派遣会社で未就職者向けの支援事業をやっており、運よく派遣会社に入ることになりました。そこで地元の建設会社の事務職選考を受けて通過したので、その会社で派遣事務として働くことになりました。

ただ、入ったはいいけど未経験だろうがすぐに結果を求められるような職場で、

  • 「なんでこれができないの?」
  • 「同じこと聞かないでしょ!」

と言われ、「そんなすぐ覚えられないよ…」と思いつつプレッシャーの中で仕事をしていたら、入社から1か月で体調を崩し会社を休みました

病院で診察してもらったら、「過敏性腸症候群」と診断され、ストレスで胃腸が炎症を起こしているとのことでした。
(過敏性腸症候群は基本的に完治はしないそうで、これ以後ストレスが溜まるとすぐ腹痛を起こす体質になってしまいました)

もらった薬
過敏性腸症候群発症時に服用していた薬

そこからも頑張って仕事はしましたが上司からのプレッシャーは収まらず、体もメンタルも限界に達したため、派遣会社に申し入れて2か月で退職しました。その後就職活動を再開し、内定をもらえた会社で塾講師として働くことになりました。

塾講師。上司に恵まれたが体が悲鳴をあげた日々

長池涼太(りょうた)
当時は常に体調が悪かったです

僕が入社した塾はいわゆる「メンター」(研修担当)の人がつくので、仕事の相談などはそのメンターにできました。僕の研修担当になった人は10年その会社で働いていて、かつ他の業界も見ていた方なので柔軟に物事を考えられたり視野も広く人として尊敬できる方でした。

一方で、辛かったのが年を追うごとに増える仕事量と激減した休日。3年目に入った頃は激務から起きあがることができないくらい体調が悪化してしまい、病院に行ったら「自律神経に異常がある」と言われ、安定剤などの薬を処方されました。

もらった薬
当時飲んでいた薬。薬がないと体調の維持ができませんでした。

正直3年目に入るあたりで「辞める」ことは頭にありましたが、

  • 石の上にも3年、つまり3年は働かなければいけない
  • 当時持っていたあるクラスがかなり良い子がそろっていたので、その子たちの卒業は見届けたい

という思いもあったので、そのクラスの卒業に合わせて4年やってから辞めようと思いました。そして、入社3年目の終わりから4年目にかけてたまたま高校時代の先輩や恩師に再会する機会があり、そこで

りょうた
りょうた

仕事が辛くてやめようと思ってます…。

といった思いを伝えました。

先輩や恩師は否定することなく聞いてくれて、客観的な視点から退職・転職に関するアドバイスをしてくれました。そこで紹介されたジョブカフェに行ったことで退職の決意ができました。

りょうた
りょうた

この先輩や恩師たちは、『命の恩人』と思っています。

それを経て入社4年目の終盤にメンターの上司に退職の意思を伝えました。上司は転職経験が豊富だったのもあり、

  • 自分のやりたいことにチャレンジすることはすばらしいこと
  • やるなら20代のうちにやっておいた方が良い

などむしろ応援してくれることを言ってくれました。その後会社にも退職の意思を伝え、正社員としてちょうど4年で塾を退職しました。

農業。自分の存在価値を全否定された

塾講師を辞めた当時の僕は「自然に関わる仕事をしたい」と思い農業への転職を考えました。問題は当時車の免許が「オートマ限定」だった僕ですが、農業は「マニュアル免許必須」の求人が多かったこと。

オートマ限定不可の求人
農業はほとんどの会社でAT車限定だと就職できない

そこで僕はもう一度教習所に行きマニュアル免許を取得(限定解除)をしました。

自動車教習所のオートマ限定解除の明細
マニュアル免許取得のためにかかったお金。

ちなみにあらかじめオートマの免許は持っていたとはいえ、限定解除には4万円ちょっとかかりました。大学の農学部で使った教科書を使って予習も入念にしながら転職活動をして、地元の農業法人に採用されました。しかし初日から

  • 「(仕事の)スピードが遅い!」
  • 「なんでこれできないの⁉」

などプレッシャーになることをたくさん言われました。

そして入社3週間たったある日、仕事でミスをして上司を怒らせてしまいました。社長から「もうおまえにこの仕事は任せられない」と怒られ、その日は昼から夕方までひたすら野菜を入れるダンボールの組み立てを延々としていました。

そして仕事が終わった後、社長に呼び出されクビを宣告された上で30分ぶっ続けで説教されていましたが、おまえは価値のない人間だと言われてしまいました。

長池涼太(りょうた)
人としての価値を全否定されました

心を完全に折られた僕は社長に言われたことが強烈に頭に残ってしまったために、自分が会社で働く姿がまったく想像できなくなってしまいました。ただハローワーク行って、形だけの転職活動をする先の見えない日々…。

りょうた
りょうた

将来を考えると転職はした方がいいと思った。でも働くこと自体がトラウマになっている。

どうすれば…?

ブロガーになり自信を取り戻していく

西暦年齢出来事
2016年28歳8月にブログを始める
2017年29歳上半期は主に都内のブロガーイベントに参加。いろんな人と出会いを重ねる
2017年29歳7月に当時茨城県坂東市にできたシェアハウスリバ亭茨城に移住
2018年30歳様々な仕事をし自信を取り戻し1月に水戸に戻った

ブログに全てを賭けてブロガーに転身した

20代の人生戦略論
20代の人生戦略論集合写真。このとき本気でブロガーとしてやっていこうと決意した

気力を無くした日々を過ごしていく中で、ネットサーフィンをしているとあんちゃさんという女性のブロガーを発見しました。あんちゃさんも元々会社員をやっていましたが、仕事をしていく中で自身の想いを優先して、ブロガーに転身して生計を立てていました。

当時は他にも会社員経由でブロガーに転身した人が多く、それぞれがすごく楽しそうにしているのをネット上で目の当たりにして、ブログに可能性を感じてブログを始めました。ブログ開始2か月後にはあんちゃさんが東京でイベントをやるということで、ホテルを取ってまで行ってみました。

あんちゃさんイベントスライド
2016年10月。都内にて20代の人生戦略論というイベントに参加

そこでの話が僕にはすごい響き、「僕もブロガーとしてやっていこう!」と決意しました。このイベント以後、ハローワークなどにはまったく行かなくなり転職活動を取りやめました。

りょうた
りょうた

会社員が無理なら、それ以外のやり方で(ブロガーとして)僕は生きていく

僕はそう思い当時はブログの専門的な知識はなかったので独学でしたが、覚悟を決めたため努力することだけは徹底しました。

感謝される経験を積み重ね、自信を取り戻す

リバ邸茨城の人たち
2018年9月。リバ邸茨城にて「居酒屋りばてぃ~」開業

ブログを始めたものの、今と違い当時は茨城県内にブロガー仲間がいなかったため一人でブログを書く日々でした。そんな中ブログを始めた翌年には、当時茨城県坂東市にできたシェアハウス「リバ邸茨城」(現いろり亭-空-SORA)に住むことになりました。

シェアハウスのメンバーと夜中まで飲み明かすこともありました(笑)

シェアハウスに移ってからは当時のブログ収入だけでは心もとないのもあり、たまに単発の仕事をこなしました。

  • 祭りの屋台
  • 養鶏場の解体現場の片付け手伝い
  • 保育園の屋根の掃除
  • 歯科医院の建物内と周りの掃除
  • パソコンの使い方がわからない高齢の社長の代わりにパソコン作業

高齢者の多い地域だったため若い(20代)というだけで重宝され、幅広い仕事の依頼を受け、とにかく一生懸命にこなしました。依頼者と直接やり取りをすることも多かったですが、その中で「感謝される経験」を積み重僕も仕事で人の役に立つことができるんだ」と思うことができるようになりました。

そうして、会社をクビになったことで失っていた自信を取り戻し、「地域の役に立ちたい!」という新たな目標を見つけて地元の水戸に帰還しました。

フリーランスになり幸せを感じれるようになった

西暦年齢出来事
2018年30歳4月にコミュニティスペース本拠地がオープン
2018年30歳5月から運転代行のバイトを1年やった
2019年31歳2月終わりよりコワーキング本拠地の管理人に就任
2019年31歳6月17日に開業届を提出、正式にフリーランスになった

本拠地という場所を見つけた

りょうた
現在僕が管理人を務める水戸のコミュニティスペース本拠地運営の塩畑夫妻と。

そして2019年でブログを始めて3年経ち、6月からは個人事業主(フリーランス)にもなりました。

今は水戸にある「コミュニティスペース本拠地」の火曜日と木曜日の管理人もやっています。本拠地は、僕がリバ邸茨城から水戸に帰ってきた2018年の年明け当時に本拠地が立ち上がるということを知りました。

同時に本拠地の運営者(ギルドマスター)のソルティーさんもブロガーであることを知り3月~5月の2か月間はソルティーさんに集中的にブログを教わり、当時月7000アクセスだったのが5月の段階で月3万アクセスまで伸ばすことができました。

ブログセミナー
当時のブログセミナー

そこから当時ソルティーさんが運営していたブログのオンラインサロンにも入り、そこでブログの実力をさらに伸ばし、秋からは僕も講師側に回ってサロン生にブログを教えたりもしていました。そして2019年に入ってからは、それまでの努力が実を結び、4月には月間10万アクセス、5月には月間20万アクセスを記録することができました。

月間20万アクセス達成

収益としても、Googleアドセンスと物販(Amazon、楽天)を合わせて月間5万円ほどをブログだけで稼ぐことができました。本拠地も2018年の4月の創業から通いつめて、2019年の2月からは火曜日と木曜日の管理人になりました。

たまにブログ仲間が本拠地に遊びに来ることもあるので、そのときはSEOなどブログ談義をしていることもあります。

りょうた
りょうた

有料級のお得情報がタダで聞けるチャンスかも(笑)

自分の価値を見いだせている

ブロガー、フリーランスとして楽しくやっています。ブロガーはもちろんブラック企業・労働問題に関する活動がメインですがそれぞれで精力的に活動しています。「お前は価値のない人間だ」なんてもう言わせません。

主な活動

メディア出演・掲載実績

ブログコミュニティ『イバライター』の運営

イバライター

2022年9月よりブログコミュニティの運営もしています。ブログについて日々情報交換したり、勉強会も開催。オンラインコミュニティでSlackが主な活動場所ですが、不定期にブロガー交流会を開催しています。

茨城県ブロガー交流会

ブログのアクセスを上げたい、ブログで稼ぎたい…そんな方の参加をお待ちしています。

イバライターの詳細はコチラ

ブラック企業研究家

ブラック企業の影響と 新しいキャリアの築き方
茨城大学の労働法の授業内ではゲスト講師としてブラック企業の経験を伝えました

僕はこれまで様々なブラック企業で働いてきました。パワハラ、長時間労働、残業代未払いなど様々な労働問題に直面したり悩んでいる人もたくさん見てきました。僕や当ブログの存在がそのような人にとって少しでも解決の糸口になれればと思います。

最近は外部でもブラック企業での経験やブラック企業で苦しまないためのポイントなどを伝えるために講演等に登壇しています。今後も様々な形でブラック企業の経験を伝えたり、労働問題の啓蒙等をできればと思います。

コミュニティスペース本拠地管理人

水戸にあるコミュニティスペース本拠地のコワーキングスペースにて火曜日と木曜日の管理人をやっています。普段は本拠地でブログやライター記事を書くなどの仕事をしていますが、ブラック企業や働き方に関する相談も随時乗っています。

コミュニティスペース本拠地長池涼太
本拠地にいるときはブログ執筆を中心にいろいろお仕事をしてます。

また本拠地としても

といった事業をやっています。居住支援や就労支援、保護猫に関心のある方もぜひお越しください。

NPO法人教員支援ネットワークT-KNIT会員

長池涼太

2022年6月よりNPO法人教員支援ネトワークT-KNITの会員としても教育に関する活動をしています。僕も元塾講師で教育業界で働いていた経験があります。

そのため教育の重要性は重々理解していますし、僕の専門のブラック企業・労働問題も実は教育がかかわるものだと思っています。また、2023年4月からは広報としても活動しており日々T-KNITに関する発信全般をしたり記事を書いたりしています。

最後に

長池涼太(りょうた)

僕はすごい仕事ができたり、すごい能力の高い人間ではありません。むしろ仕事も出世や昇給することがありませんでしたし、会社をクビになることもありました。やることなすことが地道ですが、そんな僕でも這い上がれたことをブログなどを通じてお伝えできればと思います

僕の生き方や発信を見て、少しでも前向きになったり、自分のやりたいことに少しでもアクションを起こしてもらえたらと思いますし、「良かった」「気になった」などあればSNSのフォローをしたり、感想をいただけたら嬉しいです。

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りょうたの主な活動

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