著者:長池涼太(ブラック企業研究家)
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僕は転職先の農業法人を入社わずか3週間でクビになりました。
塾講師を辞めてから、自分はどんな仕事をしたいのか模索する日々が続く中で、大学が農学部だったのもあり農業にいきつきました。人格否定の言葉もいわれ、クビになったことで僕は自信を失いました。
そんな農業のバイトを短期間でクビになった実態を体験談として書いてみました。
選考~バイト開始まで
面接。専門的なことも聞かれた
面接の前半は大学の農学部の話。特に卒論について深く聞かれました。
ただ、卒論は観葉植物だったので農業からははずれてます。大学を卒業してから農業からはなれた仕事をしてましたが、その会社で栽培してる野菜についても聞かれました。
下調べはしたのである程度までは答えられましたが、それ以上のことを聞かれるとさすがにわかりませんでした。
- その野菜はどこからの輸入が多いか?
- なぜその国からの輸入が多いか?
- なぜその国で栽培がさかんなのか?
たぶんこのへんは、大学生のときにきかれても答えられたか怪しい…。
そもそも大学では扱ったことがなかった野菜でした。
農作業体験。1日収穫作業をした
しかし意外にも後日一日農作業体験に参加させてもらえて、そこで採用するかどうかを判断することになりました。体験当日はひたすら野菜の収穫作業。パートの人といっしょでしたが、親と同年代の人が多くすぐ打ち解けました。外国人の研修生も何人かいたけど、すぐに仲良くなれた。
その体験の様子の結果…採用となり、まずはアルバイト(試用期間)で様子を見て正社員に登用ということになりました。労働形態・仕事内容(当時)は、
- 8時半~17時
(12~13時はお昼休憩+15分休憩が2回) - 時給750円
(当時の県の最低賃金は747円) - 内容は農作業だがベテランのバイトや社員は発送作業、営業、機械の操作もある
という感じ。バイトは定時で終わるため、キツイとかはなかったです。やはり農業『法人』だけにやることの幅は、一般の農家と比べて幅広い。
農業のバイト開始からクビになるまで
1週目:初日から雲行き怪しく
農作業体験の翌週からバイトが始まりました。収穫がメインでしたが、元々いる人と比べて作業のスピードがだいぶ遅いこともあり初日からいろいろ言われました。農作業体験で、収穫作業と収穫の機械を少し触れたけど、1日じゃあ…。
ちなみに初日の収穫は、体験のときとは別の野菜でした。
初日にして雲行きの怪しさを感じました…。
2週目:自分の無力さを痛感
収穫+他の作業もやるようになりました。しかし、他の作業の手順を覚えるのに精一杯でスピードを上げる余裕まではありませんでした。ある作業のときに社長が作業をしている技能実習生を呼び、僕とスピードを競わせました。
いろいろやってみたものの大差・・・。この週の最後に社長とじっくり話をする機会がありましたが、
- この調子だと社員にするのは厳しい
- まじめにやってるの?
と少し怒り気味に言われました。もちろんまじめに取りくんでいましたが、ふざけてるように見えたらしい・・・。
3週目:無力さをさらに痛感
今思うと、前の週より心なしか社長や社員がイラついているように感じました。雲行きの怪しさを感じながらの仕事。パートのおばさんたちは、優しく接してくれた。
ただ、社員からの目線が非常に気になった時期で相変わらず社長や社員にはいろいろ言われてました。
4週目:クビ。価値のない人間
ある作業でミスをしてしまい、社員をキレさせてしまいました。社長にも耳に入り、説教。
その後、「その作業は任せられない」という理由で夕方まで大量のダンボールの組み立てをやらされました。
仕事後、社長に呼び出されクビを宣告され30分くらいいろいろ言われ頭がパニックになってて言われたことをあまり覚えてないのですが、唯一覚えてるのが
「おまえは価値のない人間だ!」
と言われたこと。
しかも社員が仕事している事務所の中で言われたので、言うことが社員にも全部聞こえてました。人前でここまで人格否定されたのは生まれて初めてでした…。帰りの車の中で泣きましたし精神的にとてもきつかったです。
クビを宣告された翌日も出勤
ちなみにクビを宣告されたのが5月30日でしたが、契約の関係上翌日も出勤しました。昨日、価値がないなど散々ボロクソ言われたあとだけにどんな顔して出勤、仕事すればいいかわかりませんでした。31日も農作業は一切やらせてもらえず、倉庫の端のほうに隔離され段ボール箱の組み立てを朝から夕方までひたすらやっていました。
個人的には一人でかつ人の目もなかったのである意味楽でしたが、心情は何とも言えない。
後日談。二度と見たくない顔
クビになった翌日にハローワークから離職証明書というのを渡されました。
離職証明書は、正式には「雇用保険被保険者離職証明書」という書類で、退職する社員から離職票の発行を求められたときに必要となる書類です。
離職票は、社員が退職する際に、転職など次の職場が決まっておらず失業保険を受給したい場合に、社員の申し出を受けて会社から社員に交付する書類です。
退職した社員は、雇用保険の失業給付を請求するときに、ハローワークに離職票を提出し手続きを行います。
この離職票を発行するために、会社はハローワークに離職証明書の提出が必要となるのです。
離職証明書とは?申請方法や書き方、添付書類まで詳しく、かつわかりやすく解説
これを会社の人に書いてもらわなければいけないそうで電話して、翌週に書いてもらいに会社に行ってきました。顔を合わせた瞬間、ものすごく嫌そうな顔をされました。
ただ、これをやらないと失業手当など諸々のことが進まないので我慢しました。ちなみにこのクビになった件、ハローワークと会社を紹介してくれた農林振興公社に報告はしましたが、3週間でクビは茨城県では当時例がなかったそうでかなり驚かれました。
なんでもその会社では独立と定年退職を除いて初めての退職者だったらしい(農林振興公社談)
僕は価値のない人間か?と自問自答
ということで精神的にかなりダメージを受けました。
これ以降、「おまえには時給の半分の価値しかない」が頭から離れず「本当に自分は価値のない人間なのか?」ということを自問自答する日々が続きました。正直今でもそう思うことはありますが、そのことはたまたまその会社だけのことと、最近は割り切るようにしています。
自分に対する自信を根底から破壊された出来事でしたが、これからも一生懸命生きていきます。
このときの経験が良くも悪くもその後の人生を変えたかもしれません。
先程ツイートを拝見して記事見させてもらいました。俺も今まで職場でムカつく言葉をあびせられましたが、「時給の半分の価値しかない」はあまりにも酷い。
バイトというと一見社員より気楽と思いがちですが、「時給いくらの人間」というレッテルを貼られ、人を平均で並べてしまう共産主義が蔓延っているなと俺は思います。
日本の労働環境が資本主義だろうと、共産主義だろうと比較対象が常に「他人」。これが労働者の働きづらさを生んでいます。
ここは能力に応じて時給がアップするので、そういうレッテル貼られる可能性は高かったですね。
クビになって半年以上たってるので、今となってはアホらしいとしか思ってませんけどね。でも、最近競争心みたいのが薄れてきた(自分は自分、人は人みたいな)ので、あまり比べられると辛い所もあります。